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2019.06.22

RCSL 2019 オニャーティー学術大会概要その3

RCSL (Research Committee of Sociology of Law) 2019年国際学術大会に参加するため、スペイン・バスク州のオニャーティーに来ています。大会3日目(最終日)の621日(金)は、半日のうえに記念企画が詰まっていたので、1セッションが1時間ずつ。あっという間に終わってしまいました。

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日の第1セッションでは、Human Rightsの部会に参加しました。ここでは国際条約の国内法化や先住民の人権について議論が行われました。報告は2件。最初の報告は、日本のヘイトスピーチ対策法(2016年)は人種差別撤廃条約の国内法化として位置づけられるかどうかを問う報告。様々なアクターが関わりながら国際圧力と草の根の力との両方によって同法が制定されたことが紹介され、部分的にではあれ同法は人種差別撤廃条約の国内法化と言えるとのこと。第2報告は、カナダの先住民の置かれた状況と先住民の権利保護の難しさについて紹介するものでした。先住民と連邦政府、州政府の間の合意は対等な関係が確保できず、それによって先住民の権利保護を図ることは困難です。ではどのようにしたらよいのかと思っていたら、困難さの指摘だけで報告は終わってしまいました。

2セッションでは、Modernizing Adjudicationの部会に参加しました。ここでは裁判手続のICT化、AI化について議論が行われました。ここでも報告は2件。最初の報告は、ポルトガルで進められている裁判手続のICT Courtについての紹介でした。ポルトガルの裁判所は司法裁判所と行政・税務裁判所の二本立てになっているそうなのですが、前者についてCitius、後者についてSITAFというプロジェクトが進んでおり、訴訟手続の効率化、迅速化、適正化が図られているとのこと。いずれについても、費用面での魅力はあるものの、なお手続保障の点での課題は多く残されているようです。第2報告は、中国の裁判手続のAI化についての報告でした。中国は人口が多く、裁決手続の効率化の要請は他の国よりもはるかに大きいとのこと。そこで、1999年以来3期にわたる司法改革5か年計画を経て裁判手続のICT化、AI化が急ピッチで進められてきたそうです。後発国のメリットもあり、実際に多くの改革が進められ、最近導入が進められているWisdom CourtRobot Judge)は世界中の注目を集めているとのこと。もっとも、過大な期待は禁物で、可能なことは何であるか冷静に見極めることが必要なのは確かです。

このあとIISL創立30周年記念企画として、プレナリーセッション3が行われました。詳細は省略しますが、8か国の代表的研究者がパネルに登壇し、これからの時代に法社会学者に何が可能なのか、議論が行われました。このセッションの途中で私は中座したので、どのような落ちが付いたのかわかりません。そのあと閉会式があり、大会は無事に終了したとのこと。

議論の内容の密度が濃く、まだ未消化ですが、振り返りを行いながら咀嚼していくつもりです。来年の大会にも参加出来たらよいなと願っています。

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2019.06.21

RCSL 2019 オニャーティー学術大会概要その2

RCSL (Research Committee of Sociology of Law) 2019年国際学術大会に参加するため、スペイン・バスク州のオニャーティーに来ています。大会2日目の620日(木)は、大会の中日で、中身の濃いセッションが多数ありました。以下は備忘録を兼ねた概要です。

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日の第1セッションでは、Disputing Endangered Rightsの部会に参加しました。この部会で私も報告(第3報告)をしています。この部会では、紛争解決方法や紛争解決行動に関する議論が行われました。具体的には、ポルトガルの再婚家族(Stepfamily)の子供の権利保護についての報告、中国の司法的環境救済手続の行政化についての報告、「超高齢社会における紛争経験と司法政策プロジェクト」の調査研究の一環として行われた「暮らしのなかの困りごとに関する全国調査」(2017.1112)の相談先満足度についての調査結果の紹介報告(私の報告)、ブラジルの労働仲裁についての立法動向の紹介が行われ、フロアを交えた議論が行われました。子供の権利保護のために再婚後の血縁のない親にも事実上の親としての義務を課するべきこと、環境訴訟で損害賠償による救済を図ることが困難な中国で救済を実効化するためには、救済手続の行政化を行うことは一歩前進ではあるのだけれど、予見可能性や正統性の点で問題があること、労働仲裁は私的な紛争解決方法であり、手続保障になお問題があり、経済的弱者に対して用いられる場合には一定の規制が必要であることなど、もっともな指摘が行われました。私の報告では、トラブルの相談先は単にしっかりと話を聞けばよいというだけではなく、適切な情報提供や交渉のサポートなどきちんとした対応を行わなければ、利用者のより高い満足を得ることができないことをデータに基づいて紹介しました。最近の調査では、しっかり話を聞くことが相談先のより高い満足度につながるという調査結果が多かったので、反応は上々でした。

2セッションはプレナリーセッション2だったのですが、IISL創立30周年の記念講演だったので紹介を割愛します。

3セッションでは、Judicial Professionals’ Working Conditionsの部会に参加しました。ここでは、裁判官、検察官、Magistrateなど司法職のワークライフバランスや仕事のストレスに関する議論が行われました。具体的には、オーストラリアの裁判官、Magistrateの仕事と家庭生活の両立の難しさについての調査報告、労働条件に関するパラダイムシフトを文献調査で明らかにする報告、仕事の重要性は仕事の満足度に関わる一方、ストレスの原因ともなるというジレンマについて検討する報告、司法の質(Quality of justice)の歴史的変遷についての報告、裁判官、検察官、Magistrateの労働条件に関する立法動向の紹介が行われました。最初のオーストラリアに関する報告を除くと、ポルトガルで行われた共同研究の成果を紹介する企画だったようで、議論が内輪向きであり、率直に言ってあまり興味を引くような内容ではありませんでした。

4セッションでは、Attitudes of Japanese Litigants and Their Lawyers toward the Civil Justice Systems: Preliminary Results of the National Surveyの部会に参加しました。この部会では、「超高齢社会における紛争経験と司法政策プロジェクト」の「訴訟利用調査」についての現時点での調査結果の紹介が行われました。最初に、今回の「訴訟利用調査」が行われるに至った経緯や調査目的の紹介が行われ(太田勝造)、これに続いて、弁護士増員にも拘わらずここ10年以上にわたって訴訟新受件数が増えていないのは何故なのかについての検討結果が紹介され(ダニエル・フット)、さらに、当事者が本人訴訟を選ぶ理由についての分析結果の紹介(長谷川貴陽史)、そして、訴訟利用満足度についての分析結果の紹介(齋藤宙治)が行われました。司法制度改革で大幅な弁護士増員が図られたのに訴訟利用が増えないのは何故なのかはずっと気になっている問題です。弁護士が訴訟をあまり受任したがらないという事情があるようですが、このあたりはさらに掘り下げた検討が必要でしょう。当事者が本人訴訟を行うかどうかの決定は、弁護士報酬が高いということとともに、自分でもできると思ったからという、ある意味身もふたもない結論には妙に納得しました。訴訟利用満足度が、勝ち負けに関わるのみならず、裁判官や弁護士に対する評価の高さが関係しているというのも理解できる結論です。これから行われるさらなる分析が期待されます。

5セッションでは、Lawyers in 21st-Century Societies – 2の部会に参加しました。ここでは、21世紀になってからの各国の弁護士のあり方の大きな変化が議論されました。具体的には、ドイツのリーガルエイドのあり方の変容の紹介、旧社会主義圏である東欧諸国の弁護士のあり方の変容についての各国比較、弁護士人口が急増しているブラジルの弁護士業務の多様化についての紹介、そしてクロアチアとセルビアでの司法の信頼失墜が弁護士のあり方にもたらしている危機についての報告が行われました。弁護士の置かれている状況が激変していることはいずこでも同じなのですが、その具体的な表れは各国それぞれです。ドイツのリーガルエイドが弁護士の訴訟支援から行政などによる当事者サポートに補助の重心を移しているというのは、弁護士費用が高額化している状況の下では避けられない傾向のように思います。旧社会主義圏で法曹増員が行われた結果、新自由主義的傾向が強まる一方、弁護士のギルド化がかえって進んでいるというのは意外でした。ブラジルの弁護士人口は単に多いだけでなく増加率も高く、その圧力で弁護士が様々な業務を新たに開拓していることは理解できます。もっとも、それが野放図であるという印象はぬぐえません。クロアチアとセルビアの弁護士の置かれている状況は、司法制度への信頼が大きく損なわれている中かなり困難なものとなっているようですが、それでもなお弁護士はある程度の信頼は維持しているという調査結果が紹介されました。しかしながらこれは本当に正しいのでしょうか。報告者の願望がかなり含まれているような印象を受けました。

大会2日目には、いろいろな議論を咀嚼しなければならず、消化不良の状態です。少し時間をかけて理解を深めていきたいと思います。


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2019.06.20

RCSL 2019 オニャーティー学術大会概要その1

RCSL (Research Committee of Sociology of Law) 2019年国際学術大会に参加するため、スペイン・バスク州のオニャーティーに来ています。大会日程は、2019619日(水)から21日(金)までの3日間。オニャーティーにある国際法社会学研究所(IISL)が会場。中世の趣を残すオニャーティー大学の建物(多くが歴史的建造物)で大会が行われており、それだけでも驚くばかり。大会そのものは300人程度の参加者でこぢんまりしていますが、宿泊施設が合同であるなど、合宿に近い雰囲気で、一気に知り合いが増えます。例によって備忘録を兼ねて大会の概要をまとめておきます。

大会は19日の9時から始まりました。オープニングセレモニーでは、RCSL会長、LSA理事、バスク州政府司法副長官、など6名が挨拶(スペイン語で内容が分からないものあり)。そのあと、1989年にオニャーティーに国際法社会学研究所(IISL)が設けられた経緯などについて紹介がありました。

これに続いて、プレナリーセッション1として、昨年度にPodgorecki Young Scholar Prizeを受賞した平田彩子さん(岡山大学)と今年度Podgorecki Senior Scholar Prizeを受賞したMavis Maclean先生(Oxford)の表彰と講演が行われました。平田さんは東京大学とUCバークレーに提出した博士論文が、Macleanさんは長年の家族法研究とRCSL会長としての貢献が受賞の対象です。平田さんの『自治体現場の法適用—あいまいな法はいかに実施されるか』(東京大学出版会・2017年)は極めて優れた研究です。世界的に活躍してほしい若手の1人です。

セレモニー直後の第1セッションでは、Law and Sustainable Developmentの部会に参加しました。ここでは、世代間正義について議論が行われました。具体的には、破綻した開発会社の環境に対する世代間責任をどのように担保するか、韓国でのCO2固定化・蓄積政策とこれに関する立法についての紹介、食糧生産における世代間正義の検討、そして世代間正義の直面する新たな危機について議論が行われました。世代間正義と経済成長との両立をどうするかなど、解決困難な課題についてフロアも交えていろいろ意見が出されましたが、道のりは遠いという印象しか残っていません。

昼食後に行われた第2セッションでは、Law, Institutions and Developmentの部会に参加しました。ここでは、主として規制ないしガバナンスの問題が議論されました。具体的には、ある法的規制は負担だと感じられるのに、他の規制は必ずしもそうではないのは何故か、国家と企業の強力な連携がブラジルのグローバル企業をどのように変化させたか(中国との比較)、航空産業における報告制度や情報共有制度がどのように航空安全に働いているのか、AIによるロボットアドバイザリー企業をどのように規制すべきかについて議論が行われました。中心も頂点も存在しないグローバル社会で、ソフトローなどによる直接的でない規制ないしガバナンスに注目が集まっていることは理解できます。もっとも、そのような規制・ガバナンスの危険性にどのように対処するのかについては、まだ議論が尽くされているとはとうてい言えない状態です。

3セッションでは、Comparative Studies of the Legal Professionsの部会に参加しました。この部会の議論はやや統一性に欠けていたのですが、日本の税務統計を用いた弁護士の年収動向についての分析、fMRIを用いたリーガルマインドについての脳科学実験結果の紹介報告、法実務における生きた伝統がどのようにして形成・維持されるかについての報告、高齢弁護士が直面する引退の問題、若手法学研究者のキャリア形成をどのようにして支援するかについての議論が行われました。税務統計を子細に検討すると、日本でも高収入の弁護士は特に減ってはおらず、法人化と組織内弁護士の増加によって弁護士の収入が見えにくくなっていることの反映にすぎないという検証結果は、実感に照らしても納得できます。リーガルマインドの脳科学研究はまだまだ始まったばかりで、分析枠組の構築に向けての試行錯誤とデータ蓄積の段階にとどまっているという印象です。社会的認知の脳科学的構造解明はこれからの課題です。高齢弁護士の引退問題、若手法学研究者育成の問題はいずこでも悩ましい問題だと痛感しました。

初日はあっという間に過ぎました。今日は第1セッションで私自身の報告もあります。私自身の研究ではなく共同研究の紹介報告なので少し緊張しますが、頑張りたいと思います。

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2019.06.02

LSA Washington D.C. 2019大会概要その4

6月1日(土)の夕方のセッションの時間(4:456:30pm)には、Paper SessionLaw, Business, Economy and Society in East AsiaCRN 33: East Asian Law and Society)に参加しました。私もここの報告者の1人です。司会はHiroshi Fukurai先生(UC Santa Cruz)。5人の報告者が報告をしました。

1報告は、私の“Third-Party Committee for Corporate Misconduct - Focusing on the Committee for Rating Third Party Committee Report -”でした。「第三者委員会」の機能や再発防止策のエンフォースメントについてはLSAALSAの学術大会で何度か報告をしているのですが、今回は「第三者委員会報告書格付け委員会」の役割に焦点を当てて報告をしました。「格付け委員会」では何が評価基準となっているか、その目安を明らかにしたうえで、比較的に高い評価を得ている第三者委員会報告書、きわめて低い評価しか得ていない報告書、優秀な報告書として表彰された報告書を挙げ、不祥事からの目隠しに第三者委員会報告書が使われないように「格付け委員会」が目を光らせることの意義とその危険性について指摘したつもりです(どこまで伝わったかは謎ですが)。

2報告は、松中学先生(名古屋大学)による“Gender Diversity in Board of Japanese Firm”でした。日本の会社の独立役員(取締役/監査役)はなかなか数が増えないのみならず、多様性に欠けているという問題について、女性の独立役員を増やすことがその解決につながるのではないかと問題提起する挑戦的内容の報告でした。確かに、日本の会社役員の女性比率は極めて低く、先進諸国では最低の比率です。独立役員に女性を増やせば女性比率が上がるのみならず、役員のバックグラウンドの多様性も向上し、会社のガバナンスが強化されるのではないかという主張は、いまのように極端に悪い状態を少しましな状態に置き換えるうえでは効果があると私も思います。他方、独立役員に選ばれるような女性はほとんど専門家(弁護士やコンサルタントなど)であることが予想され、役員のバックグラウンドの多様性はかえって低くなる可能性も指摘されました。役員のバックグラウンドの多様性の問題は、女性の独立役員を増やすだけでは、簡単には解決しないようです。

3報告は、Bruce Aronson先生(NYU)による“Is NISSAN a Japanese Company?”でした。日産/カルロス・ゴーン事件を手掛かりに日産のコーポレートガバナンスの不十分さを指摘し、そこから日本企業一般のコーポレートガバナンスの課題を明らかにするとともに、そのような課題の打開策を提示する報告でした。日本企業は、マネジメントモデルを採用するにせよ、はたまたモニタリング・モデルを採用するにせよ、日本化されたコーポレートガバナンス基盤の上でグローバルな企業活動を統制しなければならないという困難な課題に直面しているという指摘には唸らされました。

4報告は、清水剛先生(東京大学)による“The Historical Development of “Japanese-style” Corporate Governance”でした。同報告は、日本のコーポレートガバナンスのあり方を戦前までさかのぼって検討し、実は戦前の日本企業のコーポレートガバナンスは、社外役員比率もそれなりに高く、現在のあり方にちかいものだったけれども、戦中戦後の混乱でそもそも会社数が減り、しかも富裕層がいなくなったことで社外役員のなり手がなくなって、内部出身者ばかりの役員によるコーポレートガバナンス体制が出来上がったという歴史的事実を紹介するものでした。日本的経営は法律が作り出したものではなく、社会経済的諸条件が作り出したものであり、法律はそれを補強してきたにすぎないということには納得できます。

5報告は、Daniel Rosen先生(中央大学)による“Uso! Big Lies and Corporate Cover-ups in Japan”でした。粉飾決算やデータ不正、検査結果の改ざんなど、会社の組織が関わる「嘘」の問題は最近とくに注目を集めています。そのような不祥事のたびに会社の役員がマスメディアの前で謝罪をするという風景はもはや日常的なものです。Rosen先生の報告は、このような不祥事はなぜ起こるのか、それは日本特有な問題なのか、解決策はあるのかを問う報告でした。基本的に、日本企業では内部出身者が経営の中枢を担うのであり、コーポレートガバナンスの観点からは好ましくないあり方が続いています。独立役員の必置化など様々な施策が行われているけれど、そのようなあり方を変える見込みはあるのか。Rosen先生はこの点については悲観的なようです。

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4日目(62日午前まで)は諸般の事情で参加せず、夕方には帰国の途に就きます。帰りの旅も長いので、疲れをためないようにゆるゆると帰ります。

来年のLSA大会はデンバーで開催されるとのこと。これもまた楽しみです。


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LSA Washington D.C. 2019大会概要その3

Law and Society Association(北米)の年次大会に参加するためにワシントンD.C.に来ています。昨日(61日)は3日目。今回は午前中のセッション2つと夕方のセッション(私も報告者の1人)に参加しました。

朝一の時間(8:009:45am)は、Paper Session: Dignity in East Asian Law and Society (1)CRN 33: East Asian Law and Society)に参加しました。西欧のキリスト教文化に起源をもつ「尊厳Dignity」の概念は東アジアでどのような意味で受け取られ、議論されているのか。司会は宮澤節生先生(神戸大学名誉教授)。4人が報告をしました。ややバラバラな印象はありましたが興味深い意見交換の場となりました。

1報告は、Terry Halliday氏(American Bar Foundation)とSida Liu氏(University of Toronto)による“Dignity Discourses in China Struggles for Basic Legal Freedoms”でした(報告はHalliday氏)。自由を貫こうとすると生命身体の危険すら伴う中国において人間の尊厳はどこまで尊重されうるのかを問う報告。中国には経済活動の自由も弱者保護もあるけれども、それは政策的なもので、本来、生得的に保障され、尊重されるべき「人間の尊厳」は十分に尊重されていないという主張。ややステレオタイプな中国観の投影のようにも思いましたが、かの国の不気味さがこの点に由来することは確かです。

2報告は、Qian Liu氏(University of Victoria)による“Making Sacrifices for My Family’s Dignity: How does the Emphasis on Face (Mianzi) in Chinese Society Interact with State Law to Affect Leftover Women’s Choices in Marriage and Childbearing”でした。家族の「面子」が法とどのように関わり、女性の生き方、特に結婚や出産にどのような影響をもたらすのかについて検討する報告。「尊厳」はRespectに関わる概念ですが、それが「体面」に近い意味で用いられる場合には、問題が多いと私も思います。

3報告は、Chen Wang氏(University of Ottawa)による“Migration and Dignity of Chinese Highly Skilled Women in Canada”でした。カナダへの中国人移民は増えていますが、中でも女性がカナダに移住する場合の問題について紹介する報告。能力の高い中国人女性が移住する場合であっても、その女性のそれまでの経験や高度な能力は無視され、職業訓練を受けるところからキャリアを始めなければならないこと、ある程度キャリアを積んでも何かの事情でそれを失うとまた職業訓練から始めなければならないことなど、カナダの中国人女性移民が置かれている状況は過酷なようです。このような状況のもとで「人間の尊厳」は保障されていると言えるのかを問うていると理解しました。

4報告は、Jimmy Chia-Shin Hsu氏(Academia Sinica)による“Human Dignity in Jurisprudence of Taiwan Constitutional Court”でした。台湾の憲法裁判所は憲法原則を発展させていくに際して「人間の尊厳」を効果的に用い、従来の法概念を拡張したり、逆に制限を加えたり、現代的意味に置き換えたりする試みを行っており、同性婚を認める判決もこのような文脈で捉えられるということを明らかにする好報告でした。

東アジア人にとっても「尊厳」は様々な意味で用いられていること、特に「体面」に引き寄せてこれが理解される場合には問題が多いことについては、考えさせられました。

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2セッションの時間(10:0011:45am)は、Paper Session: Dignity, Human Rights, and Gender Equity Beyond Temporality and Spaciality (CRN 33: East Asian Law and Society)に参加しました。司会はHiroshi Fukurai先生(UC Santa Cruz)。3人が報告をしました。

1報告は、Ayako Hatano氏(University of Tokyo)による“Internalization of International Gender Norms in Asia A Case of Gender Violence and Sexual Harassment in Japan”でした。女子差別撤廃条約(CEDAW)批准後、CEDAWの諸原則が日本でどのようにして国内化されてきたか、それが国内法の判決にどのように影響を与えてきたかについて記述的に明らかにする報告でした。博士論文の一部をなす研究とのこと。今後の展開が期待されます。

2報告は、Heidi Haddad氏(Pomona College)による“Municipal Rights: Cities Re-Purposing International Human Rights Law”でした。同氏の報告もまたCEDAW原則の国内化についての研究報告で、カリフォルニア州の自治体の条例等にCEDAW原則がどのように反映されているか紹介するものでした。自治体ごとに温度差はありますが、連邦や州レベルよりもさらに市民生活に密接に関わる自治体の条例等に国際法上の原則が直接に影響を及ぼしていることに、驚きを感じました。

3報告は、Rob Lefler先生(University of Arkansas School of Law)による“The Failings of Japanese Patient Safety Reforms in an International Context”でした。Lefler先生は日本の医療過誤訴訟の比較法的研究を長年行っておられる先生です。日本の医療安全制度改革は、損害賠償訴訟の増加によっても、医療損害保険の掛金率の高まりによっても、資格停止等の行政処分の強化によっても、刑事責任によっても、はたまた医療事故調査制度導入をもってしても、大きく前進することはなく、医療安全はまだまだ不十分な状態にあることを、データを示しながら紹介する報告でした。この問題は、医療安全の向上を医療機関に動機づけるインセンティブが欠けているということに尽きるのでしょうか。問題の深刻さを痛感しました。


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2019.06.01

LSA Washington D.C. 2019大会概要その2

Law and Society Association(北米)の年次大会に参加するためにワシントンD.C.に来ています。昨日(531日)はその2日目でしたが、相変わらず体調は回復せず、また今回大会参加の最重要の目的であるAsian Law and Society Association (ALSA)第4回学術大会関係の打ち合わせやBusiness Meetingがあり、参加したのは朝の第1セッションだけでした。

参加したのはPaper Session: Current Legal Issues in Asia and Americas IIでした。報告は4件。以下の報告が行われました。

1報告は、Ana Cristina Augusto Pinheiro氏(Univ. Estácio de Sá)による“Systemic Law as a Tool for Peaceful Conflicts”でした。同氏のいうSystemic Lawとは、医療に例えるとホーリスティック医療のようなもので、方法論としては対立関係を避ける調停方式を多用するといった法(実定法とは異なる)のようでした。現実の法の機能にはあまり関心はないようで、正直なところよく分かりませんでした。

2報告は、まったく準備ができておらず、実務上の経験を語っただけで終わったので、論評するに値しません。紹介を割愛させていただきます。

3報告は、私の友人であるLuis Pedriza氏(獨協大学)による “Human Dignity Under Modern Japanese Constitutional Law”でした。Pedrisa氏の報告は、日本国憲法の「個人の尊重」原理について、歴史を遡り、また憲法上どのような形でこの原理が具体的に表現されているかを紹介するもので、日本の法学者、法律家にとって新味はなかったのですが、スペイン出身の同氏が日本国憲法の「個人の尊重」原理をどのように見ているかが垣間見え、また欧米の研究者にとって分かりやすい紹介報告になっていたと思います。

4報告は、Martin Gallié氏(Université du Québec à Montréal)による “Evicting the Elderly: Magistrates Face Unjust Procedural and Social Policies”でした。カナダ・ケベック州では、賃貸人による賃借人に対する退去請求訴訟の件数が増えており(背景には不動産価格の高騰がある)、しかもわずかな不払いであっても立退きが認められることから、高齢者が強制退去を受けるケースが目立ち、社会問題になっているとのこと。この問題に、執行に関わるMagistrate(この場合の訳は「執行裁判官」としておくのがよいでしょう)が抵抗し、執行を引き延ばすことで不正義を避けようとするような事例がしばしばみられるとのこと。社会政策の失敗を現場の裁判官が何とかしようとするのは、実際上結構あるのだと思いますが、このようなことは社会政策の改善でしか解決できないはずです。考えさせられる報告でした。



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