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2018.12.10

2018年12月9日(日)法制史学会近畿部会・日本法社会学会関西研究支部共催シンポジウム「法の概念および日本前近代法の特質-水林彪・青木人志・松園潤一朗編『法と国制の比較史-西洋・東アジア・日本』を素材として」概要

2018129日(日)13時~1750分まで、法制史学会近畿部会と日本法社会学会関西研究支部の共催で、シンポジウム「法の概念および日本前近代法の特質-水林彪・青木人志・松園潤一朗編『法と国制の比較史-西洋・東アジア・日本』を素材として」が開催され、参加してまいりました。このシンポジウムは、水林彪先生(東京都立大学名誉教授・元一橋大学教授)の提案で企画され、水林彪・青木人志・松園潤一朗編『法と国制の比較史-西洋・東アジア・日本』(日本評論社・2018年)のプロモーションを兼ねて行われたものです。大半の参加者は法制史研究者で法社会学研究者は少なかったのですが、いろいろ得るものの多いシンポジウムでした。以下は備忘録を兼ねた概要紹介です。

シンポジウムは水林先生の企画趣旨説明から始まりました。企画趣旨の内容は割愛しますが、「法の概念」について、法制史と法社会学が共有できる「経験科学的法概念」をめぐって、改めてマックス・ウェーバーの議論を再検討することには意義があると思います。決して新しいテーマではありませんが、長らく検討を放置してきたテーマだからです。なぜ今議論するのか、という問いもありますが、問題意識が薄れてきたからこそ今やらなければならないということなのだと理解しました。

企画趣旨説明のすぐあと、第Ⅰ部 「法の概念-寺田浩明論文および高橋裕論文を素材として」が始まりました。第Ⅰ部の司会は私です。パネリストは、寺田浩明先生(京都大学名誉教授)と高橋裕先生(神戸大学教授)でした。

寺田報告「法概念の論じ方-高橋・水林論文に接して」は、高橋さんの論文「マックス・ウェーバーにおける法の概念-経験科学的法概念の再構成に向けて」、近刊「経験科学的な法概念に向けて」、および、水林先生の論文「マックス・ウェーバーにおける法の社会学的存在構造-『改定稿』をテクストとして」を検討し、強制を伴わない法をとらえる視点の必要性、ルールの妥当とはそもそもどのようなことか、正当な法とはどのようなことか、ルールを伴わないカリスマ的支配もあるのではないか、といったことを、中国法史学の視点から問題提起するものでした。国家を前提とし、正当性を有する、強制力を伴うルールとして法をとらえる法制史・法社会学の主流のスタンスに対する批判と受け取りました(私の理解力の限界もあり、正確な要約はできません)。

高橋報告「法をどのように捉えるか-法社会学からの把握と法史学からの把握-」は、法社会学と法史学で協働を可能にする法概念がありうるかという問題意識から出発し、寺田論文「中国法史から見た比較法史-法概念の再検討」を手掛かりに、「契約社会」・「訴訟社会」としての前近代中国を前提として、実定化されない法をどのように捉えるのか、民事裁判をどう位置づけるのか、律の性格、契約の質をどう捉えるのか、法的関係と社会関係をどのように関係づけるのか、法の継受をどのように捉えるのか、ルールとは異なる社会的正義と裁判の関係をどう捉えるのかといった様々な点について検討し、さらに、高橋論文に対する水林先生と寺田先生のコメントに応答する内容の報告でした。高橋報告も容易に要約することはできない内容ですが、国家を前提とし、正当性を有する、強制力を伴うルールとして法をとらえる法制史・法社会学の従来の捉え方を拡げていく必要性があることを問題提起する報告と理解しました。

報告に続いて水林先生のコメントがありました。ウェーバーの法概念は、強制力を伴うルール(制定法・古代法=形式的法)だけでなく、強制力を伴わないルール(エチケット等)、ルールならざる強制(カリスマ的法宣示・実質的法)、ルールでも強制でもない規範(非難を伴う無定形習律)をもカバーするものであり、経験科学的な法概念として法社会学と法史学で十分に共有できるという水林先生の整理は圧巻でした。質疑応答もウェーバーの法概念に関する議論が中心でしたが、これは割愛します。

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休憩を挟んで、第Ⅱ部 日本前近代の法と裁判-松園論文および大平論文を素材として」が行われました。第Ⅱ部の司会は水林先生、パネリストは松園潤一朗先生(一橋大学講師)、河野恵一先生(立命館大学教授)、大平祐一先生(立命館大学名誉教授)、安竹貴彦先生(大阪市立大学教授)でした。第Ⅱ部は報告とこれに対するコメントが2組行われるという形で進められました。こちらのパートは手堅い日本法制史の研究セッションという印象です。

まず、第Ⅱ部第1報告として、松園報告「中世における法と道理」が行われました。同報告は、中世日本法における「道理」の「法」に対する優位が、近世法になると「法」の「道理」に対する優位に変わっていくということについて、中世法の学説史を踏まえたうえで、資料を精査して論証する研究報告でした。松園先生は日本法制史若手のホープと目される人物です。中世法において普通に用いられていた「道理」が近世に近づくとともに用例が少なくなり、他方その代りに「法」が用いられることが多くなり、戦国時代に至ると裁判が「御法」による判断であることが強調されるようになったという整理は秀逸であると理解しました(私は日本法制史の知見に乏しいので、この整理は間違っているかもしれません)。

これに対する河野コメントは、喧嘩両成敗の研究者として、中世から近世へと時代が移っていくなかで、理非を論じる「道理」に基づく裁定が、理非を論じない「法」に基づく裁定へと変わっていく傾向があることを指摘し、その背景に理非の判断を公権力が独占するようになったことがあることを指摘するものでした(これについても私の整理が間違っているかもしれません)。近代的な法理解と「道理」との間にはかなり距離があり、それが何ゆえに「法」に置き換わってきたのかということには興味が湧きました。

これに続いて、第Ⅱ部第2報告として、大平報告「江戸幕府の刑事裁判と『手続きの選択』-「吟味筋」かそれとも「出入筋」か-」が行われました。大平報告は、幕府の裁判手続には「吟味筋」(取り調べを必要とする者を召喚して「裁判役所自ら審問を開始する」手続)と「出入筋」(私人による出訴にもとづく私人間の紛争解決手続で、基本的に民事事件が主対象であるが、刑事事件も対象となり、民事と刑事の両訴訟手続きが合体したものと理解される)の二種類があり、この区別はしばしば「立証が容易か、困難か」によって行われる(立証が容易なものは「吟味筋」となり、立証が困難なものは「出入筋」として裁かれることが多かった)こと、他領地他支配関連刑事事件でしばしばこの振り分けが問題になってきたことを論証する報告でした。敗訴するわけにはいかない幕府の三奉行の立場がこの振り分けに影響していたということが指摘されていました。

これに対する安竹コメントは、「吟味筋」と「出入筋」の振り分けが他領地他支配関連刑事事件を幕府が処理するための便法に過ぎなかったのではないかと指摘し、手続を選択する主体は、たとえ私人による出訴が促されているからといって、私人がこれを選べるわけではなく、幕府の都合でこの振り分けが行われていたのではないかと指摘するものでした。この議論は、現在の検察の、極度に敗訴を恐れ、勝訴できる事件しか起訴しない傾向の歴史的検証であり、興味深く伺いました。

本シンポジウムは、私の理解力でフォローできない点も多々ありましたが、本当に勉強になりました。法制史と法社会学の合同研究会、また企画したいと思います。


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