第3回東アジア「法と社会」学会学術大会概要(その2)
2013年3月22日(金)・23日(土)の2日間、中国・上海交通大学凱原法学院にて、第3回東アジア「法と社会」学会学術大会(The Third East Asian Law
& Society Conference)が開催されました。昨日で、エクスカーションを除くすべての日程が終了しました。第2日目もまた大変充実しており、興奮冷めやらない状態です。昨日のものに続けて、大会第2日目の記録を残しておくことにします。
第2日目(3月23日)午前の部前半Concurrent Session 3では、私はChamber 3 (Panel
13)のGlobalization, Lawyers, and Emerging Economies: The
Case of Chinaに参加しました。中国経済の成長と法曹のあり方の変容に関わるSessionで、私自身の研究に関連すると考えたからです。第1報告は、中国律師(弁護士)のPro Bono活動に関する報告でした。中国律師の弁護士倫理はクライアントと裁判所に対するばかりでなく、社会の安定にも向けられているのだそうで、日本の弁護士倫理とは少し異なる原理にもとづくものと窺われました。他方、法律事務所がその社会的評価を高めるためにPro Bono活動をやっているという点は米国に類似していると言ってもよいでしょう。第2報告は、中国におけるアメリカローファームについての研究報告でした。中国では、外国のローファームは1992年に事務所設立が公式に認められるようになってから急増し、いまでは300以上の法律事務所(Law firm、Legal office)があるそうです。そのほとんどがアメリカかイギリスのもので、主要業務はM&Aや会社関係業務だそうです。また、法律事務所間の競争は激しく、事務所存続率はそれほど高くはないとのこと。法務部(法務省)の登録簿やHP等に乗っている公開情報を使ってしらみつぶしに電話調査をしたとのこと。UC
Berkeleyの若手研究者の研究報告でしたが、敬服しました。第3報告は、中国の司法調停の問題性をDV離婚事例を手がかりに論ずる報告でした。中国の司法調停では、調停を裁判官が担当し、また裁判官の多くが調和の価値を重んじる傾向があるために、離婚調停で女性のDVの主張がないがしろにされがちだとのこと。同様の問題は日本でも生じていることですが、裁判官の権威が高く、当事者が逆らえない場合には、問題はより深刻になると思います。いずれの報告も内容的に充実しており、勉強になりました。
午前の部の後半Concurrent Session 4では、私はChamber 2 (Panel18)のLegal Consciousness and
Legal Cultureに参加しました。当初6人の報告が予定されていたのに3人しか報告者が来ていないというのはハプニングでしたが、各報告に十分な時間があり、これはこれで悪くありません。第1報告は、中国とアメリカのインターネット名誉毀損訴訟についての研究報告でした。中国では“Reputation”(「名誉」というより「面子」なのでは)に特に高い価値が置かれており、名誉は人格権の一部として強く保護されるのだそうです。中国ではしばしば名誉毀損は刑事事件化され社会的影響力のある人物への名誉毀損はかなり重く処罰される傾向があるとのこと。名誉毀損訴訟のもとで法の下の平等がもっと重視されなければならないという主張でしたが、当然のことだと思います。第2報告は、北海道大学の大学院生の報告で、ある日本の法学雑誌を対象にして、編集方式や執筆スタイル、使われている用語、取りあげられているテーマなどを通時的に分析し、日本人の法意識の変化を明らかにするという意欲的研究の紹介でした。大論文を大幅に縮めて報告したとのことで、論理の繋がりによくわからないところもありましたが、初めての英語での学会報告としては十分上出来だったと思います。第3報告は、諸外国の立法例を手がかりに、中国で検討が進められている「よきサマリヤ人法」について政策提言をする報告でした。中国では、道路で怪我をして倒れている人の放置事例が2011年に2件起こり、社会的論議が起こりました。この背景には、善意で倒れている人の介抱をした人に損害賠償責任を認める判決があり、この問題を立法的に解決する必要があったと言います。諸外国の立法例は、介抱するのを法的義務とする介入主義的立法例から、損害賠償を免ずる場合を限定的に規定する立法例まで様々あるそうです。報告者は「ニンジン」政策(褒賞による奨励政策)が中国にふさわしいと提言していましたが、これには賛否両論がありうるところです。
昼食を挟んで、午後の部の前半Concurrent Session 5では、私はChamber 2 (Panel 24) Judicialization of Politics in Asiaに参加しました。大きな政策問題に司法が関与する場合がアジアでも増えてきており、タイの行政裁判所の創設など司法の政策関与を制度化することが一般化してきています。このパネルはそのような問題を議論するために立ち上げられたものだそうです。第1報告は、インドにおける司法と政策との関係についての報告でした。インドでは、外国との二重課税問題に端を発して司法が国の政策に介入するようになり、また、政策問題について議会の調査委員会ではなく裁判所が決めるということまで行われるようになってきているとのこと。私の英語のヒアリングに問題があり、よく理解できていないのですが、単なるJudicial Reviewの範囲を超えて政策に司法が関与するのであれば、原理的問題が生じると思います。第2報告はカンボジアの司法についての報告でした。カンボジアでは、伝統的に司法権独立の歴史がなく、現在この改革が進められているとのこと。憲法委員会が設置されたもののまだ十分に機能せず、法的素養のある裁判官も十分な数がおらず、さらに腐敗の問題もあり、司法改革は難航しているとのこと。法的素養のある裁判官を養成し、十分な司法権独立を確立するのが課題とのことですが、シンガポールのような政治主導の効率的な司法を目指すというのは、司法権の独立との関係で問題があるのではないかと感じさせるところもありました。第3報告は、シカゴ大学のTom Ginsburg教授による“The Judicialization of Japanese Politics?”でした。Ginsburg教授は、明治憲法時代以来日本では伝統的に集権制と権力分立の考え方がせめぎ合ってきたこと、この「せめぎ合い」は日本国憲法に司法審査が規定されても尾を引いており、司法が政権と対峙することは基本的にないことを明らかにし、そのうえで今日の日本でもなお政治の司法化が進んでいると言えるかどうかという点については疑問符が付くとされます。日本の法と政治を長らく研究してこられたGinsburg教授ならではの指摘で、まったく同感です。第4報告は、Washburn UniversityのCraig Martin教授による“Denying the Rights of Belligerency: The Significance of the
Misunderstood Clause of Japan’s Article 9”でした。Martin教授によれば、日本国憲法第9条第2項後段にいう「交戦権の否認」の政府解釈は国際法の用例からすれば「誤解」であり、日本国憲法独自の解釈となっているとのこと。国際法の用例によれば、自衛であっても日本の武力行使が認められる余地はほとんどないとのこと。憲法9条について、国際法の用例にまで言及して正当な解釈を提言するような議論はいまやほとんどなくなっています。Martin教授の指摘の鋭さに衝撃を受けました。このパネルでも議論のレベルが高く、いろいろ考えさせられました。
午後の部の後半Concurrent Session 6では、私はChamber 1 (Panel 29) International Economic Law and Asiaに参加しました。ここまで来ると少し疲れて、あまり議論に集中できていないので、簡単な紹介に留めます。第一報告は、オーガナイザー自身による問題の整理でした。経済法の主要問題は、①支払いのバランス、②通貨/交換レート、③投資のコントロール/金融サービスの3つであり、それぞれについて議論を詰めていく必要があるとのこと。第2報告は、国際経済法と法文化の関係についての報告。法文化は国際経済法の適用を促すことも阻害することもあります。比較法文化分析という方法論を提示することには意味がありそうですが、例として示されたのが儒教と国際経済法の関係などであり、やや大味な分析に留まっているという印象を受けました。第3報告は、欧州経済危機の社会的次元を明らかにするという意欲的報告でした。もっとも、今般の欧州経済危機の背後にあった緊縮財政政策と拡大財政政策とのせめぎ合いを明らかにするという以上のものではなく、新味に欠ける内容に留まっていたと言わざるを得ません。第4報告は、中国は果たしてWTOルールを遵守していると言えるのかという挑発的報告。欧米で用いられている指標によれば厳しい判断となりがちだけれども、実際には他国と見劣りしない程度にルール遵守が行われているとのこと。確かに、評価指標の問題は大きいと思います。第5報告は、中国の民事司法改革についての報告でした。ほとんど消化試合のような短時間の報告だったので、コメントは控えておきます。第6報告は、租税問題に端を発する中国土地法改革での中国農民保護策は主要政策の点で成功していたのに結局なぜ失敗したのかという問題提起的な研究報告。貪欲な地方政府が農民の保護より増収を重視したこと、土地法の基本性格からして農民を特に保護することが困難だったこと、基本政策の単純コピーではきめの細かい対応ができなかったことなど、改革の問題点を指摘。重厚な内容だったことが窺われるのですが、時間の関係でほとんど内容を端折ってしまっていたのが勿体ないと思いました。
16時過ぎからClosing Sessionが始まりました。最初はロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのSimon Roberts教授によるKeynote Speechでした。Roberts教授は、ご自身が生きてきた時代を振り返り、モダンからポストモダンを超えて、アジアの「法と社会」はこれからどこに向かっていくのかという問題を提起されました。これは私たちの世代が引き受けていかなければならない問題です。次に、上海交通大学凱原法学院に「アジア法センター」を設立するということで記念イベントが行われ、初代所長をはじめ5人のスピーチが行われました。最後にYang Li教授、Hou Liyang博士、Ji Weidong法学院長によるフェアウェルスピーチがあり、大会が締めくくられました。
フェアウェルディナーもあり、しばらく研究者同士の歓談が続きました。この余韻はまだ冷めていません。もっとも、今日は帰国し、明日は阪大の卒業式典に出席しなければなりません。少しゆっくり行動して体を休めたいと思います。
フェアウェルディナーでスピーチする季衛東・法学院長
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Comments
この節、いろいろお世話になりました。
そもそも「外的な視点」、あえて法(学)の文脈とやや離れた情報の構造から観察すると、法的なものはどう映られるかなっと。少し変わったところから出発した実験的な法意識論です。当時の現場でも大変貴重のコメントをいただき、ありがとうございます。続行する勇気をつけられました。
また、以上のように情報を編集されてなかなか興味深いですね。機会があれば、情報発信者としての先生の知見も伺いたいと思うようになりました。
Posted by: カクビ | 2013.04.10 04:35 PM