日本法社会学会関西研究支部研究会(2011-2014年期第2回研究会)概要
2012年10月16日(日)13時から17時過ぎまで、日本法社会学会関西研究支部研究会(2011-2014年期第2回研究会)が開催され、参加して参りました。主として関西に拠点を置く法社会学研究者の定期的な会合です。とはいえ、固有の意味での法社会学研究者ばかりでなく、関連する分野の研究者も研究会に参加しています。今回は、文化人類学の研究者で京都大学GCOE研究員の加藤敦典さんと、京都産業大学准教授で多文化共生センターひょうご代表の北村広美さんのご報告およびフリーディスカッションでした。毎度のことですが、今回もまた様々な立場からいろいろな意見が交わされるエキサイティングな研究会でした。
第1報告は、加藤敦典さんの「ベトナムの村落調停の比較法文化論にむけて」でした。加藤さんは文化人類学の研究者としてベトナム中部の村落に長期間住み込み、当地の「自主管理」的な村落統治について研究をしてこられた方です(もともと阪大人間科学研究科のご出身)。加藤報告は、クリフォード・ギアツの解釈人類学の問題意識に基づいて、法社会学会では旗色の悪い「比較法文化論」を擁護するとともに、解釈人類学的視点からベトナム村落の「和解組制度」を紹介し、さらに、この紹介を通じてベトナムの秩序観・紛争観を明らかにするとともに、それを中国の秩序観・紛争観と比較するという意欲的な報告でした。ベトナム村落の「和解組」とは、最末端の行政村落である「社」よりもさらに小さな単位である「トン」、「ソム」(集落)レベルで見られる紛争解決制度なのだそうです。「和解組」は、紛争が発生した場合に、紛争が社会全体に拡大することを防ぐために、「集団内の助け合い」の一環として「自主的」に紛争に介入し、上位の行政単位を患わせることなく解決する制度だとのこと。集落のなかの誰かが間違ったことをしたときに、婦人会や青年団、親族集団などが介入し、当事者たちを諭して、それによって集団の秩序を回復するというのです。これは、ベトナムの儒教的伝統に由来する紛争解決制度だとされます。もめ事を「上」や「外」に漏らさないことを重視するというのは、日本にも見られる価値観です。この制度が「集団内の助け合い」という意味合いを持つというのも、狭い集団の中でお互いに譲り合わないと生きていけないような社会環境を前提とすれば理解できます。ベトナム社会は乗客で混んだ「乗り合いバス」のようなもの(譲り合いによって辛うじて秩序が保たれている)で、その中でけんかを始めるような者がいれば(紛争)、周りの人はこれを諭す権利があるというのです。この比喩はベトナム法務省のある役人が使ったものなのだそうですが、他のベトナム人も同様な説明をするそうです。加藤さんは、このような秩序観・紛争観は、清代中国の紛争解決制度を研究してきた寺田浩明・京大教授の用いる「満員電車」の比喩と重なるとされます。つまり、「満員電車」のなかである者が他の者を圧迫すれば、これを押し戻して秩序を取り戻すのは、周囲の者の権利だという比喩です。最後の点については、なるほどとは思いましたが、比喩の比較には少し引っかかるものを感じました。
ディスカッションでは、清代中国と現代ベトナムの秩序観・紛争観を比較することの当否や、同報告中で「法」はどのように位置づけられているのか、について議論が行われました。また、この報告に見られる比較は、比喩的な色彩を取り去ってみると秩序維持機能についての比較として見ることができるが、それはギアツのいう「厚みのある解釈」とは異なるものになってしまうということが指摘され、さらに、「和解組」の介入を当事者はどのように受け取っているのか、「乗り合いバス」の比喩にはベトナムの社会秩序の比喩として代表性があるといえるのか、といった議論が行われました。本人を差し置いていろいろな意見が飛び交うことになり、少し申し訳なかったなと思っています(私も原因の一端を担っているので)。
第2報告は、北村広美さんの「在日外国人の健康保障に関する問題―コミュニケーション支援の現場より―」でした。北村報告は、「多文化共生センターひょうご」の概要と在日外国人の現状紹介にはじまり、日本語や日本の習慣を理解しない在日外国人が日本で充実した医療を受けることがいかに困難であるか、他方、そのような外国人のコミュニケーション支援を行うことにはどのような困難があるか、そして、どのようにすればそのような問題を解決することができるかを論ずる、問題提起的な報告でした。現在、日本語や日本の習慣を理解しない外国人が様々な理由で日本に多数居住するようになってきています。日本国籍をもたない者で日本に90日以上滞在している者は現在220万人ぐらいいるそうです。また、ブラジル日系人三世など、居住・就労資格には問題はないけれども、言語や生活習慣が大きく異なる者もいます。彼らは、日本語や制度理解の問題から日本の医療保険制度の恩恵を受けにくく、また施療の段階でもいろいろなトラブルに遭遇します。トラブルには、医療保険に関わるもの、言葉の理解に関わるもの、宗教に関わるもの、医療者の無理解に関わるものなど、様々なものがあるそうです。これらのトラブルを防止し、また発生した場合にも適切な対応を支援するのが医療コミュニケーション支援なのだそうです。現状では、多文化共生センターひょうごをはじめとするNGO・NPOがそのような医療コミュニケーション支援をほとんど手弁当で一手に引き受けているとのこと。医療コミュニケーション上のトラブルが頻発する背景には、医療面での多文化共生に向けての政策の不在、専門職教育上の問題、支援者に対するサポートの不十分さ、入管法とのせめぎ合いといった問題があり、容易に解決できるものではありません。少しでも状況を改善するためには、行政、専門職とNGO・NPOの協働体制の確立、専門職教育カリキュラムの充実、支援者の資金的バックアップの強化といった提言が行われましたが、いずれも実現が難しいことばかりです。
ディスカッションでは、医療コミュニケーション支援の輪を広げていくための戦略や、国などが立てる多文化共生枠組と現場の医療コミュニケーション支援のあいだのギャップの問題、ボランティア保険の充実化の必要性、母国語も日本語も十分にできないダブルリミテッドの問題などが指摘されました。さらに、「旅の指さし会話帳」に相当するような医療コミュニケーションツールの話など、可能なところから支援の輪を広げていくことに関わる議論が盛り上がりました。専門職教育カリキュラムの充実化が現在の医療専門職過密カリキュラムの中では実現しにくいこと、医療の現場では宗教の話を持ち出すと医療者に「変な人」扱いされるようになり、まともなコミュニケーションが成立しないことなど、なかなか改善の難しい問題も指摘されました。いずれにしても現場の話は切実な問題ばかりで、議論は尽きませんでした。
今回の研究会でもいろいろ学ばせて頂きました。次回の研究会は年末か年始になるそうですが、今から楽しみにしています。
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